東京都板橋区には陸軍板橋火薬製造所跡に関連して
もう一つ忘れてはならない施設があります。
それが旧理化学研究所です。
この施設は、火薬製造所の土地や建物を活用した研究所です。
一般公開日ではこちらの施設を見学することもできました。



旧理化学研究所
現在残されている陸軍板橋火薬製造所跡の川を挟んで反対側に位置しています。
この場所は陸軍時代には、
物理試験室や爆薬理学試験室と呼ばれていた場所でした。
その場所を活用したのが理化学研究所です。
この場所には、宇宙線と呼ばれる宇宙空間に存在する粒子や
エネルギーを測定するための
観測装置が置かれ、研究が行われていました。
この研究所は10人くらいから始まったとされていますが、
当時の日本の考え方としてはあまりない、
老若男女自由に意見が言える場があったそうです。
建物中央にある会議室にはその様子を垣間見える写真などが
並べられていました。

宇宙線観測機
理化学研究所の研究テーマには宇宙線の研究がありました。
その宇宙線を観測するために設置されたのがこの装置です。
部屋に巨大な箱のようなものが残されています。
この部屋の中にプラスチックシンチレーターと呼ばれる
観測機が設置されており、宇宙線の観測が行われていました。
このプラスチックシンチレーターですが、
素粒子の検出によく使われていたそうです。
プラスチックシンチレーターは、
ポリビニルトルエンという透明なプラスチックに、
二種類の蛍光物質をわずかに混ぜたもので作られています。
電気を帯びた粒子がプラスチックを通貨すると、
プラスチックの蛍光物質が光り素粒子を検出するという仕組みになっています。
ただ、素粒子の通貨で発光するのは本当に僅かな光りなので、原状のままでは観測できなかったようです。
その光りを電気に変換し、計測できるようにしたのが、
プラスチックシンチレーターというわけです。
私は専門家ではないので、現在残されている部分が
プラスチックシンチレーターのどの部分になっているかは分かりません。
ですが、この正方形の構造物にはどこか魅力を感じます。
マイクラの中にいるような、
もしくは小説やゲームの中のキャラクターにでもなったような
特異な存在感と混ざり合って不思議な空間になっていました。
またこの他にも、現存はしていませんが
ガイガーミラー係数管と呼ばれる観測装置なども
別の部屋に置かれていたそうです。
宇宙から降り注ぐ宇宙線を観測するには、
可能な限り空との障害物は少ない方がいい。
実は最適な場所だった!?
この場所が選ばれた理由の一つがこの建物の構造です。
陸軍時代では、この場所は爆薬理学試験室として利用されていました。
試験室だったこともあり、
万が一爆発した時に周辺の被害を最小限にするために
爆風を上空に逃がす工夫として天井が薄く作られていたそうです。
そのため宇宙線の観測に向いていたとのことです。







電子計算機
またこの研究所には現代で言うところの
スーパーコンピューターと呼ばれるものも置かれていました。
それが電子計算機です。
どのようなものだったかという話は聞けませんでしたが、
控え室が設けられ、
電子計算機のためのエンジニアが常駐していたことを考えると、
部屋の壁一面に置かれたケーブル剥き出しのモジュラーシンセのような
コンピューターだったのではないかと妄想してしまいます。
このように当時最先端の設備がこの板橋に置かれていたと考えると
非常に趣を感じます。
湯川秀樹というノーベル賞物理学者の存在
この研究所に席を置いていた一人に湯川秀樹博士がいます。
湯川博士は、日本人初のノーベル賞受賞者です。
1949年に海外の研究者により、
湯川博士の理論が立証されたことでノーベル賞を受賞します。
その内容というのが中間子論の研究でした。
中間子とは、原子の中にあるプラスを持つ陽子同士を結びつけておく、
ノリのようなものです。
プラス同士は本来、反発し合うものですが、
中性子と一緒にそれを繋ぎ止めておく存在が中間子です。
当時、中間子の存在を見付けることが出来ていませんでしたが、
湯川博士の理論によりその存在が示唆され、後に別の研究者により
立証されました。
この功績によりノーベル賞受賞に至ったわけですが、
理論の発表後も研究は続いており、
その中で理化学研究所の客員として席を置く事になります。
理化学研究所の設立に伴い、様々な機器が必要で
電子計算機室の開設にも多額の予算が必要でした。
当時最先端の機器ばかりです。
目が飛び出すような金額であったことは
想像に難くありません。
日本人初のノーベル賞受賞ということもあり、
湯川博士の存在は、理化学研究所の資金調達の面で
支えになったものと考えられています。
湯川博士の研究
湯川博士が理化学研究所で行っていた研究は、
中間子の研究ではなかったようです。
宇宙線の中の「空気シャワー」と呼ばれるものの理論的分析を
電子計算機などを利用して行っていたそうです。
「空気シャワー」とは、
隕石が地球の大気にぶつかりちりぢりに分裂するような現象のことです。
隕石と同じように、高エネルギーの宇宙線が大気にぶつかると、大きなエネルギーが分散してちりぢりになる、その現象の研究を行っていたそうです。









当時最先端の研究をこの場所で23区のひっそりとした場所で行われていたというのは新鮮でした。
また、この場所も当時は星が綺麗に見えていたと思うと、東京の発展を感じずにはいられません。
静かに残された場所に当時の最先端が詰まっているそんな場所でした。