東京の隠れた桜の名所、音無川渓谷を歩く

東京にある隠れた桜の名所を紹介します。
日本には沢山の川があり、東京にも小さな川を含めると数多くの川が存在しています。
今回はその中でも小さな小川ですが、江戸時代から今も残る歴史的にも趣がある川になっています。

音無川

音無川は江戸の時代から東京へと流れ込む清流でした。数々の文人墨客に愛され、遊郭である吉原への通り道として栄え、さらに農地用水として流域界隈の水田の稔りを豊かにしていたそうです。

良質の水を求めた中世の豪族豊島氏の軍事拠点として発達し、大正以降は良質な水を活用して印刷用紙の生産が行われていました。
また、戦時中は軍都として兵器生産の支えていたと言います。

この『音無川』は、『石神井川』を源流として、王子権現下より分流して日暮里を経由し、根岸から三ノ輪まできたところで流れが分かれ、東方向の流れは『思川』として明治通りに沿い、「泪橋」を抜け、「白鬚橋」付近で『隅田川』に注ぎました。もう1つの流れは南東方向に進み、「日本堤」沿いに『山谷堀』に通じています。

音無渓谷

音無渓谷は石神井川が流れている付近を音無渓谷と読んでいました。
歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれ江戸の名所の一つに数えられています。

享保5年(1720)には、吉宗が川沿いに270本の桜を植えさせ、翌年飛鳥山全山に桜を1000本植え江戸庶民の行楽地となっていきました。

この石神井川には王子七滝と呼ばれる7本の滝があり、当時の観光地として見所の一つだったようです。

音無渓谷の桜

川の両側の道に桜が植えられており、桜道となっています。この川は、元々氾濫しやすく、洪水が度々発生していました。
現在はコンクリートで覆われてしまっていますが、渓谷の小さな川です。そのため、左右に蛇行し、コンクリートが壁のように高いのがお分かり頂けるかと思います。

コンクリートの壁で覆われた渓谷は、中々見られないのではないでしょうか。渓谷の下に降りられる場所もあります。
元々は洞窟があった場所ですが、現在は治水のための調整池になっています。

階段を降りると、渓谷だった名残が感じられます。