浅草と言えば浅草寺ですが、それだけではありません。浅草の奥と呼ばれる場所があります。それが、奥浅草。
ここで日本伝統文化を体験できるイベントが開催されました。
奥浅草伝統祭りです。

奥浅草伝統祭り

奥浅草は、浅草と吉原の間にある地域です。この地域にも小さな商店街などがあり、日本では商店街は小さなコミュニティを作り、祭りを開催する習慣があります。浅草伝統祭りは、奥浅草地域の地元住民や商店街関係者により開催されたお祭りです。

奥浅草伝統祭りでは、吉原で有名な花魁道中の再現を見るとができました。
花魁道中とは、吉原に在籍している遊女が指名客を迎えに行く姿がまるで御祭りのようで江戸時代から一つの興行としての側面がありました。

吉原とは

引用:シカゴ図書館

江戸時代の吉原は、正面の通路をメイン通りとして数十の風俗店が並んでいました。その中でも有名なお店は、「花魁」と呼ばれるトップスターを抱えており、花魁を指名した客を吉原の街の入口で迎え入れ、お店へと案内する文化があります。これが花魁道中です。

花魁道中は、日本伝統のお祭りのように、列を成して迎えにいきます。

傘持ちや肩貸し、灯籠持ちなど役割があり、花魁の世話係などを率いて指名客を迎えに行きました。その姿はとても華やかだったようで、花魁導入を見に行くために人が集まったそうです。

吉原とは、江戸時代の公認の風俗街のことをさします。
そして江戸の吉原は日本の風俗街の中でも最も有名だったこともあり、風俗街のことを日本では「吉原」と暗喩する伝統が今でも残っています。

また、風俗街の中でも格式の高いお店を併せて意味しており、
江戸の文化が今でも残っている面白さがあります。

引用:シカゴ図書館
引用:シカゴ図書館

奥浅草伝統祭りの見所

花魁道中以外にも、この御祭りでは、木遣り、お座敷芸、座敷の場などの当時の文化を再現したものが催しされました。

木遣りは、もともとは木や石を運び出す際に息を合わせるための作業唄で、のちに火消しなどの鳶の人々によって発展、祝儀の際にうたわれるようになりました。吉原では、遊郭が中心だったこともあり女性が木遣りをうたうことが許され、道中の際にも披露したと伝えられています。

御座敷芸や座敷の場では、太鼓や三味線演奏で当時の客をもてなしていたものを再現しています。
伝統文化を再発見しようとする動きは近年活発になってきており、来年も開催されることが期待されています。