江戸時代の伝統的な遊びは、日本の芸術発展の礎となっていることを知っていますか?
今回は、江戸時代の遊びについて紹介します。

今日は、現代でも江戸時代の遊びを体験できるお祭りをご紹介します。
それが 「江戸の華祭り」 です。
この祭りは、江戸時代の遊びや伝統を現代の人々に体験してもらい、
日本の伝統文化に親しんでもらうことを目的に、1月18日に開催されました。

この祭りでは、伝統芸能を楽しめるブースのほか、実際に日本文化を体験できるブースも設けられていました。

吉原とは

この街は、1980年代から2000年代の雰囲気が色濃く残り、まるで昔の東京にタイムスリップしたかのような感覚を味わえます。

「江戸の華祭り」では、江戸時代に親しまれた遊びや芸能を楽しむことができます。
戦国時代の戦乱が収まり、泰平の世となった江戸では、庶民の暮らしが安定し、娯楽や芸術が発展していきました。

当時の庶民の多くは日雇い労働者であり、歌舞伎や相撲、遊郭での遊びは高額で、主に武士や裕福な商人が楽しむものでした。しかし、庶民でも気軽に楽しめる娯楽がいくつかありました。その一つが 「寄席(よせ)」 です。

現在では 落語 として知られていますが、当時は 「寄席」(文字通り「人が集まる場所」)と呼ばれていました。
寄席の起源 は、語り手が「講談」のように物語を語る神社や寺院の境内にありました。江戸時代に入り、人々が都市部に流入すると、語り手の数も増え、やがて彼らは神社仏閣の境内から 「寄席小屋」 という専用の劇場へと移りました。

寄席では落語だけでなく、怪談、手品、影絵芝居など、さまざまな演目が披露されていました。その中の一つが 「太神楽(だいかぐら)」 です。

太神楽とは?

太神楽は、もともとは神様への奉納として舞われた神聖な踊りでした。しかし、時代が経つにつれ、祭りで披露されるようになり、やがて娯楽の一つとして定着しました。

この太神楽は、やがて 「軽業(かるわざ)」 という大道芸と融合していきます。軽業では、傘、玉、急須(きゅうす)などを使い、曲芸が披露されました。

「江戸の華祭り」では、太神楽を間近で見ることができます。
神聖な舞とアクロバティックな演技が融合した伝統芸能であり、「太神楽十三番」と呼ばれる13種類の演目があります。ただし、現在では演じられることが少なくなった演目もあります。

引用:シカゴ美術館

太神楽十三番

祭りで披露された演目のひとつに「傘の曲芸」があります。これは、伝統的な和傘の上に茶碗やその他の道具を乗せ、傘を回しながら巧みにバランスを取る技です。また、「五段茶碗」という演目では、長い棒の上に茶碗を何段にも積み上げ、見事なバランスを保ちながら演じられました。さらに、「太神楽十三番」には含まれないものの、現代の太神楽で人気のある「急須の曲芸」も披露され、観客を沸かせました。

もうひとつユニークな演目が、「花籠毬(はなかごまり)」です。この珍しい道具は、両端に穴が開いた竹筒で、上部には一本の棒が突き出しています。演者はこの独特な形の道具の上で玉を転がしながら、巧みにバランスを取りつつ動かしていきます。特に高度な技術を要する演目であり、美しく演じるには熟練した技が求められます。

この「花籠毬」の面白い点は、吉原の遊郭の歴史と深く結びついていることです。道具の形は吉原の街並みの配置を表し、赤と白の玉は遊女と客を象徴しています。玉が互いに追いかけ、交差する様子は、まるで遊女を追いかける男たちの姿を思わせ、まるで「トムとジェリー」のような光景を彷彿とさせます。

吉原と文化の発展

吉原は、江戸三大歓楽街の一つとして、幕府公認の遊郭がありました。この街は単なる遊興の場ではなく、江戸の文化と芸術が花開く中心地でもありました。
吉原では、夜桜見物や 「玉菊燈籠祭」 などのイベントも開催され、多くの人々が集まりました。特に人気だったのが 「俄(にわか)」 です。

俄(にわか)とは?

遊女や芸者が即興の芝居や踊りを披露しながら街を練り歩く祭りです。
中でも注目されたのが、女芸者による「女木遣り(おんなきやり)」 と呼ばれているものです。

「木遣り音頭(きやりおんど)」とは、本来、江戸時代の火消し(消防士)が作業の合図として歌う掛け声でしたが、吉原では 女性が木遣りを歌うことが特別許されており、現代では、吉原の伝統芸と呼ばれるようになりました。

引用:吾峠呼世晴/集英社/アニプレックス
引用:シカゴ図書館

Onna Kiyari

At the Edo no Hana Festival, you can also witness this performance of “Onna Kiyari.”Thus, Yoshiwara was not only the center of entertainment in Edo but also a hub for the development and dissemination of various cultures and arts.


吉原の大商人、蔦屋重三郎

吉原文化の発展には、ある一人の人物が大きく貢献しました。それが 蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう) です。
彼は、現代でいうマーケター兼メディアプロデューサーのような存在でした。吉原で書店を開き、遊女のランキングを掲載した本を販売したことで名を馳せました。これは、まるで現代の レビューサイト(Rotten TomatoesやMetacritic) のような役割を果たし、大きな人気を集めました。

また、彼は当時貴重だった 赤色の絵具 を使った豪華な美術書を出版し、多くの人々に芸術の魅力を伝えました。さらに、才能ある芸術家や作家を発掘し、
江戸の文化発展に大きく貢献しました。

彼の書店 「耕書堂(こうしょどう)」 は、当時の吉原の中心的な存在でした。
現在では、この書店を復活させ、観光案内所として運営しています。ここでは、
当時の遊女が履いていた本物の 「下駄(げた)」 を見ることができるほか、江戸文化を感じられるお土産も販売されています。


いかがでしたか?「江戸の華祭り」は、来年の1月にも開催される予定です。
ぜひ、江戸の文化と伝統を体験しに足を運んでみてください!